たすけの道にいそしむ日々は、晴れやかな喜びに包まれ、湧き上る楽しさに満たされる。それは、常に、温かい親神の懐に抱かれ、人をたすけて我が身たすかる安らぎの中に身を置くからである。これが、陽気ぐらしの境地である。
親神は、陽気ぐらしを見て、共に楽しみたいとの思わくから、人間を創められた。されば、その思召を実現するのが、人生の意義であり、人類究極の目的である。
いつまでしん/\したとても
やうきづくめであるほどに 五下り目 5
明るく勇んだ心、それは陽気な心である。この陽気な心で日々を送るところに、真の幸福があり、生き甲斐がある。いか程長く道をたどつても、心が勇まずに、いずんでいては、親神の心にかなわぬ。親神の守護のままに、日々、喜びと楽しみの中に生活すのが、人の世のこの上ない味である。閉された心の窓を開き、遍き親神の光を身に受ける時、自ら暗い迷いの雲は晴れて、明るい喜びの中に立つ。陽気ぐらしとは楽しみづくめの生活である。
陽気ぐらしは、他の人々と共に喜び、共に楽しむところに現れる。皆皆心勇めば、どんな理も見え、どんな花もさく。
皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん。(明治三〇・一二・一一)
(天理教教典第十章 陽気ぐらし より)
- 2009/11/07(土) 09:32:54|
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即ち、さづけは、親神が一名一人の心の真実を見定めて、たすけ一条のために渡される、こうのうの理である。人々が、授かつたその日の心を生涯の理に治めて、陽気普請のよふぼくとなり、天の理を取り次がせて頂くところ、親神は、願う心の誠真実を受け取り、自由自在の守護をもつて、いかなる難病をもたすけられる。さづけの理は、たすけ一条を誓う一日の日の真心に授けられる、生涯末代の宝であつて、この理をうけて、親神のよふぼくの馳せ巡るところ、広い世界に不思議なたすけは相ついで現れる。
まことに、つとめとさづけとは、親神が、世界一れつに、陽気ぐらしをさせてやりたい、との切なる親心によつて教えられた、たすけ一条の道である。これによつて、病の根は切れ、あしきは祓われて、世界は陽気によみがえる。
かくて、世界人類は、親神の篤き守護をたたえて、心ますます勇み、親神は、又、これを受けて、恵は、いよいよ深く、ここに、神人は共に和楽して、陽気溢れる世界が、この地上に実現される。
あしきをはらうてたすけせきこむ
いちれつすましてかんろだい
(天理教教典第二章 たすけ一条の道 より)
- 2009/11/06(金) 10:52:10|
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人々の心が澄みきつて、真実の心となつた暁には、たすけづとめによつて、甘露を授けられる。これを頂けば、人は、よく百十五歳の定命を保ち、なお、心次第によつては、いつまでも生きさせてやろうと教えられる。
このつとめなにの事やとをもている
せかいをさめてたすけばかりを 四 93
はや/\と心そろをてしいかりと
つとめするならせかいをさまる 一四 92
このつとめは、人間個々の身上や事情に限らず、更に、豊かな稔りや平和の栄えなど、広く世界の上に、親神の恵を及ぼすつとめである。
ここに、恵は遍く一れつに及び、人類は、ひとしく親神の子として、兄弟姉妹であることに目覚め、互に立て合い扶け合うて、世界は、一つ心の陽気ぐらしの世と立て替る。
親神は、更に又、いき・てをどりのさづけによつて、身上たすけの道を教えられた。
このさきハなんほむつかしやまいても
いきとてをどりみなたすけるで 一二 50
どのよふなむつかしくなるやまいでも
これなをらんとゆうでないぞや 一二 51
(天理教教典第二章 たすけ一条の道 より)
- 2009/11/05(木) 10:23:01|
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されば、よふきづとめは、又、たすけづとめとも教えられ、いかなる願もかなえられるつとめである。
たすけでもあしきなをするまてやない
めづらしたすけをもているから 一七 52
このたすけどふゆう事にをもうかな
やますしなすによハりなきよに 一七 53
たすけづとめは、ただ、身上のさわりや、災難や、苦悩をたすけるつとめであるばかりでなく、進んでは、病まず、死なず、弱らない、珍しい守護をなされるつとめである。
しんぢつの心しだいのこのたすけ
やますしなずによハりなきよふ 三 99
このたすけ百十五才ぢよみよと
さだめつけたい神の一ぢよ 三 100
そのゝちハやまずしなすによハらすに
心したいにいつまでもいよ 四 37
またさきハねんけんたちた事ならば
としをよるめハさらにないぞや 四 38
(天理教教典第二章 たすけ一条の道 より)
- 2009/11/04(水) 11:40:30|
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つとめ人衆が、親神にもたれ、呼吸を合せてつとめる時、その心は、自と溶け合うて陽気になり、親神の心と一つとなる。この一手一つに勇む心を受け取つて、親神もまた勇まれ、神人和楽の陽気がここに漲る。
またさきのよふきづとめをまちかねる
なんの事ならかぐらつとめや 四 29
かぐらづとめは、又、よふきづとめとも仰せられる。まことに、よふきづとめは、親神の思召さながらの陽気をたたえて、その成就を祈願するつとめである。
どのよふなたすけするのもみなつとめ
月日ゆうよにたしかするなら 七 83
しんぢつの心あるなら月日にも
しかとうけやいたすけするぞや 七 84
つとめ人衆が、思召通りに陽気につとめる時、親神は、その真心を受け取つて、自由自在の守護を現される。
このつとめせかいぢううのたすけみち
をしでもものをゆハす事なり 四 91
にち/\にはやくつとめをせきこめよ
いかなるなんもみなのがれるで 一〇 19
とのよふなむつかしくなるやまいでも
つとめ一ぢよてみなたすかるで 一〇 20
(天理教教典第二章 たすけ一条の道 より)
- 2009/11/03(火) 11:41:09|
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かんろだいとは、人間宿し込みの元なるぢばに、その証拠としてすえる台で、人間の創造と、その成人の理とを現して形造り、人間世界の本元と、その窮りない発展とを意味する。
しんぢつのつとめの人ぢう十人の
心を神がうけとりたなら 六 18
それからハどのよな事もたん/\と
神のをもわくみなときゝかす 六 19
にち/\に神の心わせゑたとて
人ぢう十人そろいなけねば 六 20
このつとめは、又、かぐらづとめとも教えられ、親神の創造の理をかたどり、選ばれた十人のつとめ人衆が、夫々、面をつけ、歌に調子を合せて、奏でる九つの鳴物の調べに心を揃え、親神の守護の理を手振にあらわしてつとめる。実に、かぐらづとめは、人間創造の元を慕うて、その喜びを今に復えし、親神の豊かな恵をたたえ、心を一つに合せて、その守護を祈念するつとめである。
みなそろてはやくつとめをするならバ
そばがいさめバ神もいさむる 一 11
(天理教教典第二章 たすけ一条の道 より)
- 2009/11/02(月) 11:44:22|
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月日にハせかいぢうゝハみなわが子
たすけたいとの心ばかりで 八 4
親神は、一れつの人間に、陽気ぐらしをさせたいとの親心から、教祖をやしろとして表に現れ、よろづいさいの真実を明かして、珍しいたすけ一条の道を教えられた。
つとめてもほかの事とわをもうなよ
たすけたいのが一ちよばかりで 一六 65
この親心から、よろづたすけの道として教えられたのが、つとめ一条である。
このよふをはじめかけたもをなぢ事
めづらし事をしてみせるでな 六 7
このよふをはじめてからにないつとめ
またはじめかけたしかをさめる 六 8
このつとめは、親神が、紋型ないところから、人間世界を創めた元初りの珍しい働きを、この度は、たすけ一条の上に現そうとて、教えられたつとめである。即ち、これによつて、この世は、思召そのままの陽気な世界に立て替つてくる。
つとめでもどふゆうつとめするならば
かんろふだいのつとめいちゞよ 一〇 21
このつとめは、かんろだいをしんとして行う。
にんけんをはじめかけたるしよこふに
かんろふたいをすゑてをくぞや 一七 9
(天理教教典第二章 たすけ一条の道 より)
- 2009/11/01(日) 09:39:21|
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このように、明かに、鮮かに、親神を信じることが出来るよう導かれたのであるが、なお、胸のわからぬ人々の心ない反対や、世間からのとめ立てが絶えず、それ故に、ふりかかる教祖の御苦労を思うては、時としてはためらい、時としてはまどう者もあつた。教祖は、これをもどかしく思い、ざんねん、りつぷくなどの言葉で厳しく急き込む半面、
こらほどにさねんつもりてあるけれど
心しだいにみなたすけるで 一五 16
いかほどにさねんつもりてあるとても
ふんばりきりてはたらきをする 一五 17
などと、温かい親心を宣べて、常に、子供達の心の成人の上に、心を配られた。
かくて、教祖は、口に、筆に、又、ひながたによつて、種々と手を尽し、心を配つて教え導き、陽気ぐらしへのたすけ一条の道をはじめられた。更に、深い思わくから、親神天理王命の神名を、末代かわらぬ親里ぢばに名附け、又、一れつのたすけを急き込む上から、姿をかくして、存命のまま、恆に、元のやしきに留り、扉を開いて、日夜をわかたず守護され、一れつ子供の上に、尽きぬ親心をそそがれている。
まことに、人は、ただ教祖によつて、初めて親神を拝し、親神の思召を知る。教祖こそ、地上の月日におわし、我等の親にてあらせられる。
にんけんをはじめたしたるこのをやハ
そんめゑでいるこれがまことや 八 37
(天理教教典第一章 おやさま より)
- 2009/10/31(土) 10:37:40|
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次いで、親神を月日と称え、目のあたり天に仰ぐあの月日こそ、親神の天にての姿であると眼に示して教え、世界を隈なく照し、温みと潤いとを以て、夜となく昼となく、万物を育てる守護を説き聽かせて、一層の親しみと恵とを感じさせるよう導かれた。それと共に、
いまゝでも月日のやしろしいかりと
もろてあれどもいづみいたなり 六 59
このあかいきものをなんとをもている
なかに月日がこもりいるそや 六 63
とて、赤衣を召されたのも、教祖が月日のやしろにおわす真実を、眼に示して納得させようとの思召からである。ここに、月日親神に対する信仰と、月日のやしろたる教祖への敬慕の心とが、次第に一つとなり、教祖の言葉こそ親神の声である、との信念を堅めるようになされた。
更に又、
いまゝでハ月日とゆうてといたれど
もふけふからハなまいかゑるで 一四 29
とて、それから後は、をやという言葉で、親神を表し、
にち/\にをやのしやんとゆうものわ
たすけるもよふばかりをもてる 一四 35
と仰せられた。人間の我が子を慈しみ育てる親心によせて、親神は、ただに、神と尊び月日と仰ぐばかりでなく、喜びも悲しみもそのままに打ち明け、すがることの出来る親身の親であると教えられた。そして、一層切実に、親神への親しみの情を与えると共に、月日のやしろたる教祖こそ、まことに一れつ人間の親である、との信頼と喜悦の心を、たかめるように導かれた。
(天理教教典第一章 おやさま より)
- 2009/10/30(金) 10:31:22|
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又、人の心を水にたとえ、親神の思召をくみとれないのは、濁水のように心が濁つているからで、心を治めて、我が身思案をなくすれば、心は、清水の如く澄んで、いかなる理もみな映ると教えられた。そして、我が身勝手の心遣いを、埃にたとえては、親神をほおきとして、心得違いのほこりを、絶えず掃除するようにと諭された。
更に又、陽気ぐらしの世界の建設を普請にたとえては、これに与る人達を、しんばしら、とうりやう、よふぼくなどと称んで、その持場々々の役割を示すなど、人々が容易に理解して、早く心の成人をするようにと心を尽された。
このように、子供可愛い一条の親心から、譬喩を用いて分り易く教えると共に、いかにもして、親神の理を得心させたいとの思召から、初め、親神を神といい、次に月日と称え、更にをやと仰せられるなど、成人に応じ、言葉をかえて仕込まれた。
即ち、神というては、この世を創めた神、元こしらえた神、真実の神などと、言葉をそえて親神の理を明かし、或は、
たすけでもをかみきとふでいくてなし
うかがいたてゝいくでなけれど 三 45
と仰せられ、神というも、これまでありきたりの拝み祈祷の神でなく、この世人間を造り、古も今も変ることなく、人間の身上や生活を守護している真実の神であると教えられた。
(天理教教典第一章 おやさま より)
- 2009/10/29(木) 10:27:32|
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